角筈ガード

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一気飲みがしたい

今のご時世、大きな声では言えないが、僕はお酒の一気飲みが大好きだ。

もちろん一気飲みの強要はよくない。痛ましい事故も起きていることだから、一気飲ませを良しとしない時流には賛成だ。酒好きとして、お酒から不幸が生まれるのは見たくない。だからこの文章は決して一気飲みを推奨するものではない。

でもそれと僕が一気飲みが好きなのはまったく別で、僕はいつでも一気飲みがしたいし、人の一気飲みを見るのも大好きだ。より多く、より速く一気飲みができる人間の方が偉いとさえ思っている。これはもう宗教みたいなもので、ずっとそうだと思って生きてきたからどうしようもない。この宗教では一気飲みが速い人が崇め奉られていて、信奉者は自らもその聖人(一気飲みが速い人)の領域に少しでも近づこうと、教義に忠実であろうとする(一気飲みが速くなるように頑張る)。

もちろん僕もその信奉者の一人なので、一気飲みについて、色々な研究をした。ビールをジョッキで飲む時は喉を開きっぱなしにするイメージで、約3回の嚥下動作をもって飲みきる、というのが僕のスタイルだ。缶ビールは飲み口の形から普通に飲むと泡立って胃の中に空気が溜まってしまうため、速飲みには向かないが、ゆっくり飲めば十分に一気飲みが可能であることも学んだ。こうして書いてみると人にとってどうでもいいことすぎてビックリする。

大学の頃に所属していた野球部は先輩がほとんどヤンキーで、新入生全員に焼酎を瓶から一気飲みさせ、飲んだ量でランキングをつけていくことを伝統とする本当にひどい部活だったが、一気飲みの技術を磨くには最高の環境だった。僕は、ウィスキー、梅酒、アクエリアスをそれぞれグラスになみなみ注いで、連続で飲み干す、という芸を身に着け、先輩にかわいがられた。(ウィスキーと梅酒の強制チャンポンのアルコールを、吸収力の高いアクエリアスが体中に効率よく浸透させてくれる。やると死ぬ。)

結果、22歳ころにはビールの一気飲みの速さで負けることはほとんどなくなった。以来、幾多の一気飲み自慢と相対し、すべて蹴散らしてきた。そのスピードへの賞賛と、驚きの声が、僕をさらなる速さへの追及に駆り立てた。

今、その磨き上げた腕前を披露する機会は滅多にない。

部活や、歓楽街のバイト先といった、一気飲みカルチャーを持つコミュニティから離れてしまったこと、そして「飲酒の強要」と「一気飲み」が世間でひとくくりの事物として認識され、一気飲みのイメージが地に落ちてしまったことがその要因だ。

先日、ここなら今でも…、と淡い期待を抱いて参加した野球部の同窓会も、一気飲みをするような雰囲気とは程遠い、落ち着いた飲み会だった。あの場で一気飲みをしようものなら、なにをやっているんだ、落ち着け、山賊か、とたしなめられただろう。かつては彼らも一気飲みを称えていたのに。戦争で殊勲をたてた救国の英雄が、後の平和な世でいつしか「殺人者」と呼ばれるようになり、石を投げられる。そんな気分だった。

もちろん一気飲みは今日もどこかで行われていて、そのどこかでは一気飲みが称えられているはずだ。僕がそこにいないだけなのだが、今後も僕が一気飲みに触れる機会はどんどん減っていくのだろうと思うと悲しい。

一気飲みのイメージ改善と、地位の向上を切に願うが、そのための妙案はない。ないし、ここまで酔っぱらって書いて、翌日シラフで改めて読んだらひどい内容で自分で驚いた。飲みすぎはよくない。

やめよう!一気飲み!